2006/08/19

自由主義者だからこそ

Q:警察官に職務質問されました
A:
白川勝彦というおじさんがいて、やはり同じように職務質問でポケットの中を見せろと警官4人に取り囲まれたことがありました。
ところが、警官にとっては最低最悪な人を職務質問してしまったのです。
暴力団の組長の方が何千倍も楽だったでしょう。

実は、白川さんは「弁護士」だったのです。(警官にとっては十分イヤ)
実は実は、そのうえ、白川さんは「政治家」でした。(滅茶苦茶イヤ)
実は実は実は、さらに、白川さんは「元国家公安委員長」だったのです。警察官の組織のトップ中のトップ、内閣総理大臣並みの人物をよりによって職務質問してしまったのです。(最低最悪な相手で警官かわいそう)
参考URLをどうぞ。

その白川さんも「弁護士だから拒否できたが、一般の人には拒否できなかっただろう」という趣旨のことを言っています。

警職法などの勉強をしていて、自分が「自由主義者」であると信じているのなら、職務質問に対抗することができることでしょう。
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参考URLのように、警官4人に取り囲まれて職務質問を受けて冷静に「いやだ」と対応することは極めて難しい話だ。私なら「はいはいどうぞどうぞ、なんでも見て頂戴、文句あっか」と対応してしまうだろう。
警官が「職務に忠実で、市民の安全を第一に考えている」ということを信じているから。

警職法は短い法律で、読んで理解することは難しくは無いのだろうけど、なにせ相手は警察官なので生兵法で立ち向かっても怪我するだけだと思う。
しかし、白川さんのページの「私は熱烈な自由主義者です。そんな私だから…」というのには感心した。
私はそこまで熱烈な自由主義者ではなかった。

とっても簡単な「崇高な生き方」

Q:崇高な生き方ってどんなんだ
A:
他の人の役に立つことを、自ら進んで行うことです。

身近なところだと、自分の家の周りを掃除するとか、
近所の子に会ったら声をかけて挨拶させるとか、

なんでもよいのです。
ほんの1mmでも社会を前進させることが「崇高な生き方」です。
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よく見直してみると、「見返りを求めずに」の一言をつけ加えたほうが良かった。
でも、これでも十分意味は通じたと思う。
とっても簡単なことだし、誰にでもできることだと思う。

2006/08/14

国家が保障する「国家資格」への異見を聞きたくなかったのではないか。

Q:国家が保障する「国家資格」の創設が望まれるとおもう。異見をお聴かせください。
A:
質問者の方のご年齢もプロフィールも分からないのですが、あえて「異見」をということなので、いくつか述べたいと思います。一部失礼な面もありますがご了承ください。

・何が言いたいのか分からん
質問文は「老子」「君が代」「シンドラー」などの思いついた単語でテキトーに文にした悪文です。特に始めの3つの文の終わりの「…気がするが。」「…想っていたが。」「…思っていたが。」という並びは、全くダメです。
例えば「老子の教えを…だと誤解している若者がいる。本来…という意味であり、…という行動を取るべきである。」などのようにすべきです。自分の主張に自信が無い、あるいは主張すらなくて単なる思いつき程度のことをグダグダ言っているように見えます。

・国家が保障する「国家資格」
例えば「一級建築士」という国家資格をご存知でしょうか。建築士法に基づく国家資格です。「国家資格があればエレベーター問題は解決するはず」などと短絡的に考えているように見えますが、「姉歯問題」のように国家資格を持っていてもコンプライアンスの意識に欠ける者がいて、大きな問題を引き起こしたことをニュースでご覧になったのでないでしょうか。
そのうえ、国家資格を持った人の不法(不適正)行為は国家が被害者に補償する仕組みがあればよいと考えているのならば、全くの見当違いです。
多くの銀行が巨額の不良債権を抱え、国が公的資金を投入し財政面で支援した際「モラルハザード」と呼ばれる問題が指摘されました。「チャランポランな仕事をしても国が助けてくれる仕組みがある」となると、誰も真面目に仕事しなくなる、というのがモラルハザードです。

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質問者は、おそらく異見を求めたのではなく、自分の意見を理解してほしかっただけのようだ。単なる変換ミスだろう。
あまり、つまらないこと(国家資格に対する盲目的な信奉、モラルハザードなど)を指摘するのも不毛なので、このような質問には次からは回答しないほうが良いと思い始めている。まるで中学生を相手にしているようだ。

2006/08/08

夏休みの宿題の効用

Q:夏休みの宿題は意味あるのか
A:
私には、日本中の小学生の子どもたちに卒業までに何が何でも身につけさせたい「力」があります。齋藤孝氏の言う「段取り力」です。(氏は3つの力として、まねる力・段取り力・コメント力を提唱しています。)

「段取り力」という名前だけでも分かるように、目標を決めたら、それに向けて一歩一歩どのように進めたらよいのか自分で考え、それを実行する力です。

「予定を立てて、そのとおりに進めていけば、後になって苦労することがない。」
このことを、夏休みの宿題で身をもって分かってもらいたいと思います。
ついでに、学力がつけばなお結構だと思います。

夏休みの宿題をやっても、十分、真っ黒に日焼けして健康でいることができますからね。
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理想論だけで回答してしまった。
こんな回答をしていても、私自身、夏休みの終わりになって必死に宿題を片付けていた。
しかし、社会人となってから「段取り力」の必要性はヒシヒシと感じている。
その意味でも、「課題」と「計画」と「実行」ということについて、もっともっと小学生レベルで教えるべきだと思う。